ジョージ or death !発想がすごいなーと思いました。
物語のラストで、「勇気ラジオ」は最終回を迎える。
まあ、きっと会えないでしょう、この先。
様変わりした生活の中で、またひとつ勝手に勇気をもらえたような気がした。
大作『anna』。
そこからやりたいネタを選ぶ。
久保は音源から流れてくる変わらない歌声を聴き続け、買ってもらったンズを穿き、幻のようなライブの思い出を手繰り寄せては、憧れを膨らませていったのだろう。
そんな希望と強がりを含めて、人々の生き方と、その人生に寄り添うものたちを、まるっと肯定してくれているようだ。
もぐら:嘘ついたってこと? かたまり:コントに影響ありますかって言われて、そうですねって……。
17:23までの60分コースって夕方から何してんだよ、と言いたいけれど、むしろ発電に向いているのかもしれないなと考えはじめたらおかしくてしょうがなかった。
『Q』は、劇中で出てくる「せ、説明……?」という台詞が、観ている側の心情を端的に説明してくれている。
こんばんは、みしおです。
そして、次の場面でこの二人が、実は同じ学校の生徒だということも分かってくる。
ヒット曲を出した後にスランプに陥っているミュージシャンのクボヨウヘイが、売れていない頃によく通っていた汚い居酒屋に久しぶりに顔を出すと、常連仲間だった歯のないおじさんのカメちゃんと同席して飲み始める。
その間も『勇気ラジオ』はずっと続いていて、ふたりともリスナーのままで、空白の時間は毎週のラジオの話を経てすっかり元通りになっていく。
とあるラジオとリスナーの十数年間を描いた表題作『anna』。
かたまり:それに、自分がそっちの側じゃないとは言い切れないしね。
誰しも、表面にそっちが出てきたら「関わっちゃだめ」って言われる側になるかもしれない。
『27歳』のミュージシャンである久保は、「古沢太郎」に憧れて音楽を始めた。
すると、ここでうれしいニュースが舞い込みます。
「お互いが楽しんで、バレなきゃいいじゃん」みたいな(笑)。
現実ののおふたり(特にもぐらさん)ともリンクする部分に、涙がブワッと溢れる。
逆に、笑いどころの修正みたいなものは、初日の反応を見て変えたところはありました。
それでもこの番組が15年も続いたのは、ラジオという開かれた密閉空間のなかで、取り繕うことなく自分をさらけ出し続けていたからだと思う。