物事に深く感じて心を動かすこと。
左腕が上 左腕を上にして腕組みをする人は 「右脳派」といわれ、 右脳が優位な人にあらわれます。
殊勝なふりをして相手をだます「殊勝ごかし」 他にも、殊勝なふり、健気なふりをして相手をだますことを「殊勝ごかし」と表現します。
つまり、 人が腕組みをする姿には特別な印象を持っているということになります。
少々乱暴な表現には「殊勝面(しゅしょうづら)」があります。
悲しい感情でどうしようもない場合は「胸が張り裂ける思い」「息が詰まる思い」「身を切る思い」などを使います。
「顔が綻びる」は「かおがほころびる」と読みます。
胸元が目立つ衣服を着ている女性が腕組みをしているときは、男性に魅力をアピールしたい可能性があると考えて良いでしょう。
たとえば、 仕事や研究で成功した、長年やってきたことが認められた、待ち望んでいたことが叶った、といったシーンですね。
昭和初期頃までは「かいが」と読まれていましたが、現在は「けげん」と読むのが一般的です。
亡くなった人を尊ぶ時間ですから、お経に耳を傾けて、静かに大人しくいつもより厳粛な気持ちが表情に出ているというイメージです。
健気にまじめに取り組んでいる態度を「殊勝」と表現します。
「感無量」自体に「思いがいっぱい」という意味があるので、「感無量の思い」でも「感無量でいっぱい」でも二重表現となります。
企業の有数が従業員の不祥事に対して「このような不始末を起こし、内心忸怩たる思いでございます」と言うような、謝罪会見で発言しているシーンをテレビなどで観たことはないでしょうか。
そばにいるうち、話しているうちに相手の腕組みがほどけたら、心を開いてくれたサインだと思って良いでしょう。
「神妙な面持ち」の表現の使い方 「神妙な面持ち」の表現の使い方を紹介します。
「けげん」と読む場合も「かいが」と読む場合も、意味としては変わりはありません。
「殊勝」を使った言い回し いかにも健気な様子「殊勝らしい」 「殊勝」には、いくつかの決まった言い回しがあり、いかにも健気であるさま、もっともらしいさまを「殊勝らしい」と表現します。
「疑うこと」という意味では「怪訝」と同じですが、考えを決定できず、動揺している状態を表すのが怪訝との違いです。
また、殊勝には、先に説明したような「殊勝顔」などのように、神妙なふるまいを揶揄するような使い方がされる場合がありますが、健気はそのような使い方はされません。
論理的 論理的な思考を巡らせているとき、人は無意識に腕組みをすることがあります。